札幌から車で西に、小樽、余市を超えてさらに進むとそこは積丹。
積丹町のさらに端に、神威岬があります。
駐車場から突端まで、一般的な人のペースで30分以上!ちょっとしたハイキング気分で行きましょう。暑いときは水分も必要ですよ。
展望広場からは全景を見渡せます。この周辺海域は「積丹ブルー」と呼ばれるほど透き通った青い海。ちょいちょい写真を挟むのでどうぞ見てください。
「神威岩・神威岬の伝説」とは…
想像もしていなかった、まさかの「義経伝説」。
奥州平泉(岩手県)、衣川館で自刃したはずの源義経が生き延び、たどり着いたのといわれるのが新冠町にある判官館。
そこで義経はアイヌの酋長の娘と恋に落ちる。しばらくはそこで二人は一緒に過ごすも、追手の接近に気づいた義経はその娘を残して立ち去ってしまう(ここまで新冠町「判官館」の伝説)。そして物語の舞台はここ神威岬。
チャレンカの小道の「チャレンカ」とは?
そうです。アイヌの酋長の娘の名前なんですね。
順路にしたがっていくため、義経伝説はちょっと置いといて…
電磁広場にある「電磁台」
電磁台は明治時代、ロシア軍艦が北海道に上陸する情報をキャッチするための無線塔、レーダー塔の跡だそうです。確かに、地理的にも防衛の要所だったのでしょう。
さて、電波台を過ぎて少し歩くとこの門があります。
「女人禁制とな?」
再び義経伝説。義経を追いかけてきたチャレンカ…神威岬で義経に追いつくも、義経の船はすでにはるか沖…
どんなに呼ぶ声も、悲しみに泣き叫ぶ声も風の音に消され義経の耳には届かず…やがてチャレンカは気が狂い、神威岬に身を投げてしまう…そして間もなく、チャレンカは神威岩に化身した。
その際チャレンカが発した
「和人の船、婦女を乗せてここを過ぐれば転覆せしむ」
という呪いの言葉により、この海域は海の難所となったようです。恐るべしはこの情念。
この呪いを打ち破ったのは江戸時代末期、13第将軍徳川家定の家来「梨本弥五郎」。
弥五郎がこの海域を通過しようとした時、荒れ狂う海で岩角に向かって
「私は征夷大将軍家定の家来である。いま主君の命を受け岬端を通るに、なぜ神罰を受けなければならないのか」
と、大声で叫び、岩角めがけて銃を放った!すると波は静かになり、全員が無事に目的地までたどり着けたのだと。
これがきっかけでこの海域での女人禁制が解かれたそうな。
そんな伝説も過去の話。今では、多くの観光客、もちろん女性の方もたくさんいらっしゃいました。
さらに小道を進みます。足元が悪い場所もあるので、サンダル履きはおすすめできません。
念仏トンネルビューポイントに来たら…右斜め後ろを振り返ろう!
以前は突端まで行くにはこの写真に見える「念仏トンネル」を通っていたそうです。念仏を唱えると崩落を防ぎ、無事に通れるって事らしいですよ。
この時は若干雲が残っているものの、天気もよく、「積丹ブルー」を堪能できましたね。
さあ、ここまで来ました。灯台を目指してくると目標が持てていいと思います。往復した時の疲労度は人によりますが一般的な大人で、息が上がるレベル。高低差は110メートル以上ありました(ランニングアプリで測定)。
さあ、到着しました。神威岬突端、神威岩です。どうぞ!
「積丹ブルー」の言葉に引かれてやってきた神威岬。いざ来てみると、その景色が視覚に与える圧倒的な満足感、そこへ伝説が加えるアクセント。
思いつき旅行ばかりなのだが、なぜかつながりを感じる…そんなことを思う神威岬でした。また来よう😊