石川にいるくせに、全然実家に帰る気配がない竹中。
ようやく帰ります。
途中、千里浜なぎさドライブウェイに立ち寄る。やっぱり海の匂いが能登のにおい。
県外ナンバーが目立ちます。レジャーを楽しんでいる人が多いですね。
のと里山海道(写真なし)を北上し、奥能登へ。
のと里山海道は通行可能な部分を生かしながら、危険箇所・崩壊箇所を避けるように補修されていたのでアップダウンが増え、うねうねして、ジェットコースターに乗っている感じ。
それでも迂回路無しで家まで帰れたことには驚いた。
のと里山海道を下りたあと、発災当時の様子を一番残しているのがここかな?(↓下3枚。)
ここはもともとの登坂車線だったところ。最低限通れる部分を確保して、それ以外はそのまま。優先順位の問題だろうね。
これは別の道。おそらく、破損の程度が酷いところは表面のアスファルトを剥がして、固めて舗装のし直し。
剥がしたアスファルトはそのまま。これもきっと優先順位の問題。まずは復旧ということでしょう。
↑がけ崩れは発災直後よりも範囲が広がっています↓。
↑暗闇の中に飛び込んできたあの建物は、更地になっていました↓。
↑避難所だった中学校は夏休み中。↓
↑歩道の飛び出たマンホールは、そのままの姿だが、↓
↑すぐ横の、メディアでも取り上げられていたかちゃかちゃになった道が復旧していたのにはビックリ。↓
道中、たくさんのパトカーとすれ違ったけど、1台以外は全て県外ナンバー。
自衛隊車両も県外の部隊でした。
自衛隊、警察以外にも民間組織や個人で支援活動をしてくださっている方も。本当に感謝しかありません。
果たして、復興は進んでいるのかいないのか?
人づてに聞く話は人によって違う。
「な~んも変わらんわ」という人もいれば「だいぶ便利になってきた」という人もいる。
なので、自分の目で確かめてみた。
石川県のテニスの聖地は、
災害廃棄物の集積場と、
仮設住宅になっていました。
実際にあちこち回って思ったことは、
「な~んも変わらんわ」という人「だいぶ便利になってきた」という人、どちらも本当のことを言っています。
自分の見える範囲で、それぞれの価値観で、その時に感じたことや思った事を口に出しています。
結局はその人の主観になるので、「受け取る側がその背景も想像するようにしなければならないよな」ってのが感想。
自分が見た範囲も実家までの道中と、せいぜい能登町の実家周辺のみだし、珠洲市と輪島市は今でももっと酷い状況だろうと想像できる。
僕がブログ上で表現することも、竹中フィルターを通ったものなので、真実のごく一部でしかない。
それを踏まえてあえて表現するとしたら、「復旧」は進んでいるものの「復興」はまだまだ先。スタートラインに立っているか、それすらまだ先かという段階(あくまで竹中の私感です)。
九州で地震があったり、関東で地震があったり、南海トラフ地震情報が出たり…世の中的には能登半島地震がしだいに過去のものになりつつあります。
あらためて、みなさんのご支援をお願いします。