これまでも何度か紹介をしたことがあるけど、竹中実家は柿農家。
たしか、自分が小学校1年生の時に柿事業を始めたはずだから、スタートからもう40年か。
以前は見通しがよかった道も今ではすっかりご覧の通り。最初は開拓地だったから、まわりに木も全く無かった。
柿団地の文字もすっかり薄れてしまっている…
畑に到着。ここが見渡す限り、切り拓かれた赤土の土地だったとは想像もつかないだろう。
この列はたくさんの柿が残っている。防風林からの距離や天候(主に湿度らしい)の関係で黒いシミができたとのこと。
作業効率等を考えたら実を取って選別するより放置の方がいいらしい。労働力の人的ソースも限られている。
きれいに見えても確かに黒いシミ。味には影響しないだろうに…。
雪対策につくばい(つっかえ棒)を施す。
雨降る中、弟が黙々と作業していた。ありがとう。すまんな。
役目を終えた木を伐採。作業はどんどん父から弟に引き継がれているらしい。
この春、風向き等も考えながら防風林も一部を伐採したとか。作業は試行錯誤の連続。
この小屋は父ちゃんの手によるもの。父ちゃんは北の国からの黒板五郎みたいな人。なんでも工夫して自分で作る。
休憩所。薪ストーブがあたたかい。
ガス室。柿を脱渋するために二酸化炭素を充満させた部屋で25℃以上、24時間以上必要らしい。
うちでは渋が抜けていないということがないように温度は2〜3℃高め、時間は5時間程度追加するとのこと。
当然、時間的、燃費的なコストは上がる。
部屋の一角には干し柿を作っていた。自家消費用。
風雨の影響、または枯れた柿の木は伐採される。空いたところには自家消費用の別の果樹を植える。
畑も自家消費用。以前は白菜やキャベツ等も出荷していた記憶があるが、今はやっていない。
防風林の間にあるしいたけのほだ木。子供の頃はしいたけも大規模にやっていて、手伝った(手伝わされた)思い出が。
柿は決して商品価値の高くない果物。脱渋の手間もあるし利益率も高くない。また、能登半島は輸送面でのディスアドバンテージもある。
しかも母ちゃんは、すぐに人に「おまけ」をあげたりもする。
それでも、今までの自分を育ててくれたことには感謝しかない。不器用ながら実直に生きる両親はいつも尊敬している。