ラブロ恋路の朝食は御膳スタイル。ビュッフェスタイルの朝食もいいけど、朝からしっかり食べられる御膳スタイルもいい。
朝から焼き魚(みりん干し)とお刺身がついているのが能登クオリティ。
スルメイカの漁獲量を見ると、石川県は全国第3位(2019年)。能登町はイカの町なのです。
そのせいか、僕の1番好きなお刺身はイカ刺しだったりします。
部屋に戻ると、朝日が差し込んでた。今日は雨予報だったはずなので、これは予想外。能登はお日さんがやさしい。
きっとこれは「はよ動け」って暗示のはず。
「♪九十九湾から恋路の浜へ〜」でおなじみ恋路海岸。
これを書くためにググって見たけど歌詞は出てこない…全然おなじみじゃないってことか…たしか「ロマンの里 うちうら」がタイトルだったと思うのだが…(※内浦は合併前の旧町名)。
「恋路」って地名から既にロマンチック。
助三郎と鍋乃の恋物語の舞台なのです。
この彫像の作者の「坂 坦道」氏は能登町(旧 内浦町)出身。
北海道の観光名所、「Boys be ambitious !〜少年(青年)よ、大志を抱け!〜」で有名な「クラーク像」の作者であったりもします。
おお!ふるさとと北海道がつながった!
そして子供の頃の記憶を呼び起こすのは「磯の香り」。
オホーツクではこの香りを感じなかったんだよな。それぞれの海に特有の香りってことなのか?
僕の子供の頃の恋路海岸は、「海水浴場」のイメージ。当時は果てしなく遠く見えた遊泳区間も、今となってはとっても近い。
海岸線が下がった気もするが…潮汐の関係なんだろうか?
海上にある鳥居は厳島神社みたいだよねって子供の頃思っていた。
見附島。別名軍艦島はお隣「珠洲市」の観光名所だったりします。
砂浜からちょっと歩くと…
岩場もあったりする。
今の子どもたちは「危ないから!」って理由で遊ばせてもらえないのだろうか…?
岩と岩の間を見ると…
藻が右へ左へゆらゆらと。藻というヒントがあるから、透明な水の動きもよくわかる。
カメノテ。これで足をざっくり切ったイヤな記憶もフラッシュバック。
カサガイ。こいつは刺激すると更に強く岩にへばり付こうとするので採るのに難儀する。
「子どもを無理やり動かそうとするから抵抗される」。
信じてもらえるかわからないけど、「強引な指導」をしようとする先生を見ると、僕はいつも頭の中でこの貝を思い出していました。
能登の海はやさしさを教えてくれます。
旧「のと鉄道(能登線) 恋路駅」。のと鉄道 能登線は既に廃止されています。僕が高校生の時は重要な通学の足。
駅のホームに行ってみましょう!
今年は虹との遭遇率が高い!なんかいいことあ…(デジャヴュ)。
恋路海岸の近くにある「宗玄酒造」。
能登杜氏発祥の地とのこと。能登から杜氏さんが出稼ぎ的に各地に働きに出ていったんですよね。
宗玄酒造の店舗では「恋路行の切符」を購入できます。
竹中T「わかってます!おみやげですから!」
恋路観光を終えて実家へ。あらためて竹中家のシンボルツリー「イチョウ♂」。どれくらいでっかいかというと?
これくらいでっかい。それのせいかはわからないけど、竹中家は長身の家系です。
実家にある自分の荷物を整理したあと…
家を出てしばらく車を走らせる。
道も一部変わっているね。
たどり着いたのは…
柿畑。竹中実家は柿農家。
残っている柿は、シミや傷などで商品にならないもの。このあと土に還ります。
何らかの理由で柿の木を伐採したところには、自家消費用にりんごや梨、桃などが植えられています。今年は、みかんも実をつけたとのこと。
柿の木の合間の畑。これも自家消費用の野菜を作るため。柿、りんご、梨、桃、みかん、野菜…全てを支える大地、土。
ああ、「能登はやさしや土までも」。
これは牧草地かな?北海道ほどのダイナミックさはないが、その土地その土地の風土や事情もあるということ。
柿畑を離れ、更に車を走らせると…
「能都健民テニスコート」に到着。
「のと」には「能都」と「能登」表記があるけれど、「能都」は旧町名。
「能都町(のとまち)」「内浦町(うちうらまち)」「柳田村(やなぎだむら)」の3町村が合併して現在の「能登町(のとちょう)」になりました。
また、「能登」は石川県北部を広く表す時にも使われます。
旧能都町からある、「能都健民テニスコート」は石川県のテニスのメッカ。平成28年には全中大会も行われました。
数々の大会に選手として、指導者として、そして運営側として参加したので、このコートの思い出はいっぱいあります。
奥に見えるのは室内テニスコート「WAVE のと」。ここで地元の高校生の練習を見学。
やっぱり若い力の躍動感って元気とパワーをもらえるよな。ちょっと見学のつもりが結局最後まで見てしまいました。
以前から親交のある先生方とも談笑。
能登は人もやさしいです。