1月1日の被災以来、多くの方から心配の連絡をいただきました。本当にありがとうございました。

こちらからきちんと折り返しの連絡をしたり、お礼ができていないところもあります。大変申し訳ありません。

あらためて今回は網走市鱒浦からスタート。

今年は流氷がガッツリ来ていて、休みの日はこの3週連続でここで流氷を見ています。

別の場所で見た流氷。

これは砂浜に到着した流氷を道路から見ています。雪の砂浜と流氷の海との境目わかりますか?

これは網走港内の写真。港の中ですよ?

なるほど。オホーツクでは冬の間、船を陸に上げる(=おかにまく)理由がわかりました。

船の陸上げの時の様子は
陸に巻く(R4.11.28)の記事をどうぞ。

今年は流氷観光船に乗るまでもなく、流氷を堪能できています。

たずねる網走市②
「網走流氷観光砕氷船 おーろら」
の記事はコチラ。

もちろん、船上からは船の周囲360°がこの景色になるのでもっと感動は大きくなるけどね。

さて、最初にも書きましたが、ブログ更新は1月12日以来となります。

北海道に戻ります(R6.1.12)
の記事はコチラ。

旅行のウキウキ気分から1月1日の震災。10日ほど現地に滞在し、気持ちの整理もつかないまま北海道に戻り、心の乱高下がめちゃくちゃでした。

自分の立場も「被災者」→「支援者」→「傍観者」とコロコロ変わり、こちらに来てからは完全に別世界の住人になっています。

自分から求めなければ能登の情報は一切入ってきません。気持ち悪いくらいに。

そのため、暇さえあればネット検索やYouTubeで地元の報道の動画を見ています。

その日その日で大きな余震がなかったらホッとしています。でも、減ってきているとはいえ余震回数はまだまだ多いですよね。

職場では、最初の数日以外は何も聞かれないし自分からも話しません。

ただ、生徒に対して震災体験を話してもらえないかとの依頼には快く応じました。

「もしも冬の北海道で大きな地震が起こったら」のテーマで被災時の話や、子どもたちの実情に合わせていろいろ話しましたが、結局のところ、

パニックにならないこと。

まずは自分の身の安全を確保することを伝えました。

偶然、本当にたまたまですが、能登半島地震の3日前に僕は仙台をたずねています。

年末年始シリーズ3日目(R5.12.29)
の記事はコチラへ。
宮城〜岩手あたり(R5.12.30)
の記事はコチラへ。
震災遺構「大川小学校」。大川小学校では
死者行方不明者74名と記録されています。

その時はまさか3日後に大きな地震に見舞われるとはこれっぽっちも思っていません。完全に他人事でした。

だからこそこうやって、「もしも冬の北海道で大きな地震が起こったら」というテーマで考えてくれている事が大事なんだと伝えました。

先日、いつものセイコーマートで支払いをする時に、こんなお知らせに気づきました。

もう、人生百回分くらい「能登町」って見たよなって思いました。

「掲示終了時期未定」か…そうだよな。

…話がとっ散らかっていますね。

一旦話を戻します。

ブログ更新が滞っています。いろいろ考えることは増えましたが、心と体は元気です。

ここを見てくださっているみなさん、本当にありがとうございます。

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