自分の気持ちが十分に整っていないので、所在地確認のみ報告。
石川県能登町出発(6:30)。
応急処置された道を地面の割れ目、裂け目を横目に進む。自分が渋滞を作るわけにはいかないので写真は無し。
七尾市まで来て、停車できそうな場所で休憩。金沢方面への道は割とスムーズ。能登方面への道は渋滞。
「自衛隊車両」「救急車両」「災害復旧車両」「緊急通行許可車両」…たくさんの車が能登に向かっていく。
とても心強く、本当にありがたい。
自分は能登から離れていく。
道中、なぜか涙が止まらない。
(8:30 七尾市)
徳田大津から、のと里山海道に入る。能登方面(下り)は徳田大津〜穴水間は通行止め。
トイレを使いたくて西山パーキングに立ち寄る。
そうかと思ってた。トイレは我慢。(9:00)
宝達志水町にある「志雄パーキング」。ようやくトイレが使える。ということは、このあたりは上下水道に問題はないということか?
雷が鳴り、あられ混じりの強い雨。土砂崩れ等の2次災害がきっと起こる。
土砂崩れが起こるのは避けられない。ただ、これ以上犠牲者が増えることが無いように祈る。
復旧作業をしてくださっている皆様。本当に本当にありがとうございます。
それでも、あなたたちの安全を最優先に考えて下さい。
(9:30 宝達志水町 志雄パーキング)
津幡町にいるおばちゃん(独居 母親の姉妹 珠洲市出身)をたずねる。能登の事は心配しているが、行くのを控えているらしい。
かほく市あたりから感じる、
「これ、同じ石川県か?」
こちらも大きく揺れたらしいが、見たところ街並みは普通。震源からの距離の差はもちろんあるだろうけど、古い町(奥能登)との違いかもしれない。(11:30 津幡町)
しばらく友人と電話でやりとり。(13:00 内灘町)
人と話をしていると、自分の気持ちも整理されていくのがわかる。涙も止まってきた。
(内灘町は液状化の被害が酷いらしいことを聞きました。他市町村、他県で被害に遭われた方もいらっしゃるかと思います。自分の見えている部分だけで判断してしまいました。本当にすいません。※R6.1.13追加)
石川県をざっくり言うと、
「石川県=昔の加賀国+能登国」
昔のくくりで言うと違う国。金沢市で見える景色は同じ県とは思えない。(13:45 金沢市※写真無し)
時間の余裕があるので入浴。(15:00 野々市市)
※昨日の出来事
依然続く断水。1月1日以降入浴の機会はない。換えの下着もなく、不自由さを感じる中、1月9日に自衛隊の方が仮設風呂を開設してくれた。
5つくらいのシャワーと6畳くらいの浴槽。
自衛隊員の方が優しく声をかけてくれる。
能登町は高齢化率の高い地域。おじいちゃんの靴下履きを手伝う屈強そうなお兄さんの手がとても優しく見えた。
本当にありがたい。
小松市。全ての電柱がまっすぐで、緊急車両、自衛隊車両、災害復旧車両等を全く見ない。
さっきまで悪い夢でも見ていたのだろうか?(16:00 小松市)
順番つけるのはおかしいけど、1番会いたかった人と会う。この日本語もおかしいけど。
元気をもらって敦賀港へ。(19:30 小松市)
安宅スマートICから、北陸自動車道へ。
考える間もなく福井県。
「石川県」って全国ニュースに出る時って悪いことばっかりだと思う。それでも石川を嫌いにはなれない。好きとか嫌いとかじゃないけど。
(22:00 敦賀港着)
乗船手続きを終えて、車で待機。まだ2時間ある。
こんなふうになるとはこれっぽっちも思っていなかった。3年ぶりに実家で迎える正月は、もっと楽しい正月かと思っていた。沢山の人と再会して楽しく飲み交わす事を考えていた。
正直、全く意味がわからん。
それでも、最初会うはずじゃなかった沢山の人と出会った。予定とは違うけど沢山の人と会った。
中学生の頃の同級生が、役場職員として混乱渦巻く避難所を切り盛りしていた。自分も力になりたいと思った。
避難所のおばあちゃんおじいちゃんがたくさん「ありがとう」って言ってくれた。自分もたくさん「ありがとう」って言った。
中学生、高校生が一緒に荷物の搬入を手伝ってくれた。ラジオ体操も一緒にしてくれた。若い力が頼もしかった。
自分が行ったこともない県の人達が石川県に集まって来てくれている。
本当にたくさんの人が石川県を助けてくれている。
今までと比べて「ありがとう」の言葉の意味が変わった?深くなった?どう言っていいかわからんけどなんか心に染みるようになった。
辛さ?悲しさ?はもちろんあるけど、
「人間ってすごいよな!」
って思いの方が大きいかもしれない。よくわからない。
家族が全員無事で良かったって、本当に喜ばしいけど喜んでいいのか?石川を離れていいのか?なぜ北海道に行くのか?の葛藤もある。
…文書も全然まとまらない。考えようとすると深みにハマりそうだ。
敦賀港に着いて、急に疲れが出てきたような気もする。
とりあえずフェリーの中の20時間は何も考えずに寝ることにする。(22:55 福井県敦賀港)
普段なら、フェリーの旅はのんびりできるのだが…海が多少荒れていたせいか、神経が高ぶっていたせいか、それとも…大きな地震とたくさんの余震を体に受け続けたせいか…
船が急に揺れるたびに目が覚めた。
それでも、2〜3時間後には熟睡ゾーンに入ることができた。
ほぼ丸一日をかけて、苫小牧東港に到着。
北海道に入ったので一旦できる限り切り替えるようにする。
途中にはこんなところも通過する。鹿も出るし、運転に集中するため、普段はやっている旅行記的なものは今回は省略します。
あさってから仕事。
(R6.1.13 21:30 北海道苫小牧市)
路面状態が悪くないので夜間走る。
(5:45 自宅着)
いろいろあった半月間…
本当にいろいろあった…