(ウオーキングの途中に見つけた!)

朝、目がさめて、外に出るとこの天気…

昨日は1日中雨(朝方雪)、おととい快晴…冬と春が行ったり来たり…

それでもね、晴れるときは雲一つなくスカッと晴れるのが日高地方(太平洋側)のいいところ。気持ちも晴れる!

さて、いつものウオーキングに行こうとすると…

いつもより「音」がすごい。

何の音?それは…

波の音。僕の家から海岸までは直線距離で200〜300m。それでも自宅まで轟く波の音。

(海岸線付近に住んでいる人が心配になるくらい)

音に誘われるように海岸線を歩く…

(前方の波霞が見える?)
(これはすごい。行ってみよう!)

次々と波消しブロックを飲み込んでいく巨大な波。次々とやってくる波のリズムと、波濤の高さになぜか引き込まれそうになります。近づいてみるか…

もっと近づいたろ…

ヤバいヤバい!このままだったら新聞に載るやつや。これ以上近づくのはやめよう。

でも、惹かれるんだよなぁ…

波を横目に堤防を歩きます。これだけ轟音でも不快感を感じない波の音。無生物なはずなのに、波のリズムから感じるのはまるで心臓の拍動のような生命感。

演歌の世界では「日本海=荒波」のイメージですが、実は太平洋側の方が波が強い。そもそも水の入っている器(太平洋、日本海)の大きさがまず違うよね。

(海鳥がたくさんいるの見える?)
(白い点のように見えるのが海鳥)

海鳥が集まるところは「餌があるところ」。この前聞いた話では、今日みたいな海が荒れた日の後はホッキ貝や帆立貝が海岸に打ち上げられているそうです。

海鳥の下あたりはそんな貝がたくさんある(いる)んだろうね。

海岸から離れ、新冠川の河口まで遡ってきました。

雪解け水なんでしょう。川の水量がパンパンに膨れ上がっています。

僕がこちらに来て半年。さすがにもう今年の冬は越したでしょう。

この一冬超えて思うことは「水」に対する見方が変わったということ。

もっと言うと「水、氷(雪)」へのイメージが変わったように思います。

元理科教員として「そんなの当たり前」と思っていた水↔氷の変化。

この当たり前の変化も、常日頃「水」の方が多いこれまでの日常か、「氷」が多い北海道の冬の日常かによって感覚が変わるんだなと思います。

自分が思う今の感覚を一言で言うと、

「水は正直」だということです。

0℃を境に姿を変える水。氷がとけ出して水の流れになり、

「ああ!今日は温かいんだね」を肌感覚だけでなく、視覚的にも教えてくれます。

下の写真は今月の初め、冬の中にちょっと温かさを感じた日のもの。雪解け水が牛舎に入るのを防ぐ事がこの日の主な仕事でした。

(小さな水の流れが)
(集まって大きな流れに)
(牛舎の前が小さな川になっていました)
(さらに下流へと流れます)

小さな流れが集まって大きな流れとなり、川となっていきます。そして、素直に、そして愚直に高いところから低いところへ。

これは誰にも変えられません。

これも水が正直だと思った理由の一つですね。

そして集まった水は更に大きな川となって海にたどり着きます。色々なところから来た水の集合体である海は、今日の大きな波のように巨大なエネルギーを生み出します。

その巨大さ故に時には人の生命を脅かすこともある波。そしてそのもととなる水。

あたりまえにある水が特別なもののように思うようになったのは、この冬を北海道で過ごしたからなのかもしれませんね。

さて、今日は波の音から「水」について考えてみました。

うまく伝わったかな?伝わってないか〜

それじゃあ最後に、今の僕の気持ちを代弁してくれる、故 笹川良一氏の「水六訓」を紹介して終わりますね。 

『水六訓』

一.あらゆる生物に生命力を与えるは水なり。

ニ.常に自己の進路を求めてやまざるは水なり。

三.如何なる障害をも克服する勇猛心と、よく方円の器に従う和合性とを兼ね備えるは水なり。

四.自ら清く他の汚を洗い清濁併せ容るの量あるは水なり。

五.動力となり光となり、生産と生活に無限の奉仕を行い、何等報いを求めざるは水なり。

六.大洋を充し、発しては蒸気となり、雲となり、雨となり、雪と変じ、霧と化してもその性を失わざるは水なり。

水を心とすることが平和と健康と長寿の妙薬であります。

(水あっての命だね)